長岡市に住む40歳のシングルマザーです。
高1、中1、小6(現在)の3人の子どもを育てています。平成18年2月に、夫の借金などの問題が原因で離婚しました。
当時は勤務先も家から2km範囲で、休み時間に家に戻ることができ、自由もきいていたのと、近いため残業や休日出勤もできて、約20〜23万円くらいの給料で生活していました。
しかし、昨年3月、会社が工場閉鎖のために解雇、関連会社に引き取られるかたちで柏崎にある会社に移ることになりました。朝は1時間以上早く出勤しなければならなくなり、帰りは夜8時過ぎ。息子の高校受験の時期でしたが公立高校に失敗し私立高故に行くこととなり、就学貸金を借りるため無職でいるわけにもいかず、自宅から25kmほど離れた会社へ勤めることになりました。
子どもが学校に行く時間よりも、私のほうが家を先に出なくてはならないため、子どもたちには負担をかけたと思います。私の留守中に子どもが火を使いボヤ騒ぎを起こしたり、やけどをしてしまったこともあります。冬の間はほんとうに心配でした。8時頃帰宅して夕飯の用意をする頃、高1の長男のために12km離れた塚山駅に迎えに行き、夕飯は9時〜10時になってしまうこともたびたびでした。そんな転職や環境の変化から、私は体調不良になり、うつ症状でつらい日々が続きました。そのような頃、「生活と健康を守る会」に教えていただき生活保護のことを知り、申請してみることにしました。
最初は市役所の方にも圧力をかけられて、2時間くらい別室で責められるように追い立てられました。残業などで働いてきて、ある程度の給料があるので受給は無理と言われ、「倒れたら、すぐ保護しますから」とも言われました。市役所の対応は、決して良いものではありませんでした。3人ほどの人に囲まれ、マインドコントロールされるようでした。母子家庭専門の職業あっせんまでされたこともあります。
最初は給料があるので申請は通りませんでしたが、仕事量も減り始めた頃、再び申請し、やっと保護決定となって病院にも通い治療しながら生活しています。中1の子どもも発達障害をもっていて、平成20年頃より不安やストレスから不登校になり、今も治療中です。今年1月、不景気により3月20日で解雇が決まり自宅待機が多くなったので、子どものことを第一に考えようと思い、少しでも子どもがよくなうように療養中です。
私の体調不良や過労から、子どもの変化に気付かず悪くしてしまったと反省しています。私が家族の大黒柱ですから私が元気でないとすべて崩れてしまいます。でも、これといった資格もない普通の人に、3人の生活費をかせぐのは簡単なことではありません、働いても、働いても、足りないものは足りないのです。今、3人の子どもは食べ盛りで、食費もこの1年でだいぶ増えています。休も大きくなり衣服もすぐサイズが変わります。でも、減らすのは食費しかないです。これから、また、どうやって減らすのか悩むところです。
私の住んでいるところは過疎なので自動車が必要です。車も通勤のためにしか認めてもらえません。街中のようにバスや電車の便がよければ不要ですが、ひとり1台の車を持っている地域なのに、通院のためであっても認めてもらえません。学校の集まりもあり、交通の便の悪いところなので考慮していただきたいです。
私は3月分までは母子加算(6.500円)のかわりの就労促進費というかたちで10.000円が支給されていました。4月からはこれがもらえなくなり、小6の児童手当10.000円もなくなります。もちろん、母子加算も、もう、もらえません。現在、求職中で職業別練を受けようと思いましたが、「車の使用はならない」ということですが、子どもを学校へ出してからではパスの時間に間に合わないので通うことができません。結局、働くしかない。でも、仕事がないのです。
子どものいる私のような人はたくさんいると思います。今、この世界が、弱者にとってほんとうに苦しい場所であること、わかってほしいです。
車の使用については、通勤のみ認めるので他に使用すると保護廃止もあると言われました。子どもが友達の家に行くにも車を使う地域なのに、「ごめんね、車、使えないの」と子どもに言って我慢させたりしなければなりません。
市役所の方に「早く自立できるように」と言われましたが、どうやって自立したらいいのか・どうしたら生活が豊かになるのか、教えてほしいです。でも、職を選ばず働くしかないのです。子どもを犠牲にしたくはないけれど・・・。
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